| うぶすな作業場から
皆さん、こんばんは。
過去のデータを整理していたら、見覚えのないデータが。
うぶすな関東支部の亥坊が描いた、カタログ用の絵コンテが出てきました。
最近の「えと縄」のカタログ撮影は、
ロケ地とバック紙と大体のイメージを伝え合って、「いざ現場で!」という感じでしたが、
昔はこんなに、ちゃんとしていたのかと驚愕の事実です。
実際絵コンテがあったほうが、撮影のイメージがつきやいですものね。
口で「こんな感じで」というのは、
送受信両者のイメージ想像力と脳内イメージ情報蓄積量などが同等レベルじゃないと、
とんでもない連想ゲームになってしまいます。
大体イメージを伝えるのはかなり抽象的な表現ですのでね。
「青っぽい感じ」とか「ざらついた感じ」とか「もっとこう、パーッとした感じ」とか。
そういえば、以前外耳炎になった時に、
同じく外耳炎になった飼い犬と同じ悪臭が耳からしていたので、
耳鼻咽喉科で「犬の耳みたいな臭いがするんです、耳から!」と、
私としては一番分かりやすい症状説明をお医者さんにしたつもりでした。
「犬の耳!?何だそりゃ」と一喝され、
全く通じなく寂しい思いをしたことがあります。
これは送受信両者のレベルが大幅にズレていた悲劇でございます。
察した優しい看護師さんが「あ、犬の耳のにおいね。何か分かる〜」と言ってくれて助かりました。
やはり誰にでも分かる表現が大事なようです。
| うぶすな作業場から
皆さん、こんばんは。
毎日更新目指してますよ、今年は。
本題です。
日本はそこかしこに神様がいるもんだと、あらためて思う今日この頃。
山、巨木、岩、何か特別な感じのするもの、
何か気持ちがひきしまるもの、大事に守りたくなる場所、
生活のあちこちに神様を感じちゃうのが日本人なんでしょうか。
先日またもや仕事中にラジヲを聞いていたら、
「おにぎり」と「おむすび」の呼び名の違いについて議論していました。
何となく、おむすびはふわっと握ったものかなあと思っていたところ、
「日本おにぎり協会」さんのWEBサイトには、
“神の力を授かるために米を、山型(神の形)にかたどって食べたものが「おむすび」。
「おにぎり」は「にぎりめし」の転じたものと言われています。
つまり「おむすび」は三角形でないといけなくて、「おにぎり」はどんな形でも良いというの説が濃厚です”
と、書かれていますね、と話しておりました。
なんと。おむすびは神様が宿る山の形を模したものだったとは。
しかも三角なのが、おむすび。
「むすぶ」という言葉にも神様がいますね。
水引や組紐など縁起ものは「結ぶ」ものですし、昆布や三つ葉も結びますし、おみくじも木に結んだりします。
「結ぶ」ことで、人と人の縁を結び、良縁を招くという意味がこめられています。
おむすび好きの私としては、ああ、やはり、あの無駄のない完成されたシルエット、
にぎる人によって味のかわる奥深さ、
何でも好きな具を入れればいい懐の広さ、
お米の真っ白な純潔さ、
何とも言えない日本昔話のようなあたたかさに、じわっとくる美味しさ。
おむすびに心奪われるのは、おむすびには形にも、おむすびという言葉にも神様がいたからなんですね。
ただ、食い意地がはってるだけじゃなくて、意味があって良かったですわ。
もともと物は残しませんが、
そんな話しを聞いたら、ますますお米ひとつぶだって無駄に出来ません。
という事で、おむすびの話しを書いてたらお腹がすいたので帰ります。ごきげんよう。
| うぶすな作業場から
皆さん、こんばんは
昨日図書館に来年戌年のデザイン資料を借りにいきました。
岩合さんの柴犬写真集を借りようと思ったら貸し出し中。
「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見る度に、
「すごいなあ〜。撮らせてもらっていい?と、猫にお願いしなきゃならないんだなあ」と、
感心しながら見ていました。
「飼い主に従順説」は都市伝説としか思えない自分本位な柴犬を飼っている身としては、
とにかく舐められたら終いや。ガツンと黙らせなあかんのや。わーれー。
というスタンスで動物に接する癖がついており、
まずギロリと睨んでしまうのです。
「クローズ」の世界です。
つまり動物相手に喧嘩を売ってしまっているのです。
どうりで、うぶすなの猫スタッフは私を見てガタガタ震えて、目を合わせず、
パートのYさんのシュナも、私に目を合わさず生あくびをするってものです。
やはりそのような態度でのぞむ写真はロクなものがありませんでした。
私が写した「うぶすな猫歩き」どうぞご覧下さい。
ある意味リアルを切り取った写真なんですけどね。
「あきらかに悪意あるニャー!!!」
すみません…。
| うぶすな作業場から
皆さん、こんばんは。
「うぶすな」には、時々「妖怪パッタン」なる妖怪があらわれます。
突然職場から「パッタン、パッタン」と音が聞こえてきます。
時には「ハァ…」と溜息。
時には「おっかしいなあ」という男性の声。
何のこたぁ、ござんせん。
これは職場の風物詩、午夫がデータをひたすら探す時の音です。
過去のデザインデータ、画像データのDVDやCDを、
ひたすら、パッタンパッタンやって探しているのです。
パッタンパッタン聞こえてくると、
「ああ、今日も何か探している…」と我々は遠い目をするのです。
たまにこちらに「あのデータないか」と飛び火してきますが、
遥か遠くを見え半眼で微笑むのみにしておきます。
※画像は香川の四国八十八ヶ所、根香寺の牛鬼さんです。
| うぶすな作業場から
皆さん、こんばんは。
先日、ドラマ「カルテット」を見ていたら、なかなかグサグサ刺さる台詞がありました。
「志ある3流は4流」
という台詞です。
ほんと、まさに。まさにと思う反面グサグサと。
最近これに近い内容の事を考えていたので、「おおう、タイムリー」と。
社会人ならば「おおう」と思う人も多いのではないでしょうか。
ですが。
志ある3流の私は、どうも「これだ」という映像につられてしまう癖があります。
自分が撮った写真を見ると、「あー、あの時のあれに、まんまと感化されたな」というのがバレバレです。
前々回の記事は、NHKのドラマの「逃げる女」のエンディング映像が良くてマネっこし、
今回は、テレ東「バイプレイヤーズ」のオープニングに引きずられて中部国際空港で撮りました。
逆光かつ西陽でタンカー船が入る感じで。(後で見たら影の方向が朝の光でしたわ)
志が邪魔して、「おらも、あれ撮りたい」と、どうもすぐに感化されてしてしまうのでござんす。
といっても、ドラマや映画ですごく印象に残ったワンカットの出典もとを、
たまたま見た写真集や映画で見つけちゃったという時があり、
「ははーん。これが出典もとか。この画を撮りたいとずっとあたためていたのね、この監督」と、
勝手に同士に近い感情を持っております。
これも絶対何かあると睨んでいるのが、これまたNHKで放送されてた「漱石の妻」のラストシーン。
緑の中に、白いパラソルと白い洋服の夫妻を俯瞰で撮ったものですけど、
すごく印象的でバキバキに構図も決まって奇麗なワンカットなのです。
また真似して撮りたくなっちゃうかも。
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