| 日常お気楽日記
皆さん、こんばんは。
ちょっと前の話しになりますが、なでしこは決勝戦で破れてしまい本当に残念でした。
スポーツマンシップとはまさにこの事と言いたくなる、なでしこの清々しい戦いぷりは、
見ていてもグッとくるものがあり、常に三河の片隅より熱烈応援しています。
おきばりやす!なでしこ!そして、お疲れ様でした!
さて、旅の続きです。
一旦小豆島から離れ、話題は高松へ。
高松の友人と合流し、総勢4名で目指すは金比羅さんです。
途中、こんな素晴らしい風景に次々に出会えます。
日本の夏です。高松の夏。
金比羅さんは高校の修学旅行、うぶすな有志旅行、そして今回と全部で3回訪れています。
正直高校の頃は、ダルいし年寄りくさいし、何が楽しいか分からないと思いつつ死んだ魚の目でのぼりました。
しかし大人の階段のぼりすぎ、今ならば本当の良さが分かります。
やはり行くべき時に行くというのが大事なのかもしれません。
今回の我々の目的は階段数1368段を登頂し、奥の社の地を踏む事です。
その為、各々が鍛錬をつんでまいりました。
日夜ジムのトレーニングマシーンで心臓を鍛える者あり、
私は負荷のきつい登山で足腰を強化し、この日に備えました。
気持ちは「いざ、鎌倉!いや金比羅さん」です。
どれだけ真剣なのか。恐ろしい。
写真だけだと風流ですが、実際のぼっている我々の悲惨さはとても写すことができません。
足を捻挫しているにも関わらず、のぼる強者の友人も。
「自分だけのぼれず自慢話しを聞くなど耐えられぬわ」「何がなんでも頂点を目指したる」
「おのれ〜、ここまできて負け戦などなるものか」
このような心の声が聞こえるようです。
女達の執念がうずまく金比羅さんの階段。
誰も「先に行ってくれ。かまわず私の屍をこえていけ」などという者はおらず、
屍になってでも頂点目指すという凄まじい執念が、
あしたのジョーの力石からたちのぼる陽炎のように、ユラユラと出現する始末です。
この時、私は悟りました。
人間を動かす原動力はズバリ「欲望」だと。
私たちは特に禍々しい欲の塊だったゆえ、何が何でも登るという強い精神が生まれたのでしょう。
そして下山したら、居酒屋でたらふく瀬戸内の海鮮を食べると。
やってきました、おっかさん。
本宮まで785段。
さっそく参拝をすませ、しばし休息。
この写真は地べたから動かずに撮る、その名も「座り撮り」です。
どうですか、この眺め。
通称讃岐富士と呼ばれる、本名「飯野山」も見えますね。
つい、おにぎり山と呼んでしまう可愛い山です。
さあ、ここからが本番。
奥の社目指し、ひたすら進みます。
山なので暑さは気になりませんが、やはりしんどいです。
あと何100mと書かれても、それが平坦なのか、それとも急な階段なのかで明暗がわかれる恐ろしさ。
余りのつらさについ、「そんな肉まみれだから捻挫するのだ」「アジアの木彫りの体型め」と言い合い、
お参りをしているのに煩悩がおちるどころか、増える始末です。
「なぜ、このような事に」と、打ちひしがれていると、
友人が「さっき登ってた人、ずーっと嫁の悪口言いながら登ってた」と言うではありませんか。
つらい時に悪態が出まくる。
これは人間のDNAに仕組まれた救済システムなのかもしれません。
暑い時に、言ったところで気温は変わらないのに「暑い暑い」言ってしまうように。
全くもって人間が出来ていません。
「寒い暑い、しんどい、お腹がすいた、やってられん」
つい出てくるこのような思いを、ぐっと自分の内にしまって一人歩く歩き遍路さんは、
そういう点でも修行なのだなと思います。
とても真似が出来そうにありません。
明けない夜はない。のぼれぬ山はない。
ヨレヨレ状態でついに奥の社に到達しました。
階段数1368段。欲深い為、ひとりの脱落者もなく全員がこの地に立ちました。
おにぎり山も、瀬戸大橋ものぞめます。は〜来て良かった。
ああ、ありがたい。
質素ながらも旅を楽しめるだけの生活と、何とかここまで来れた健康に感謝して参拝し、
奥社だけで受けられるお守りを頂き、あとは帰るのみ。
ああ、のぼって良かったと、感動を噛み締めた一日でした。
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